学童保育づくり運動の開始

●1963年(昭38)広島市の学童保育づくり運動始まる
“ひろしまに学童保育があればいい”と初めて話し合われたのは1962年(昭37)の夏。
当時珍しかった東京三鷹市の「学童保育」の実態調査と活動報告がきっかけとなり、竹屋地区で始まりました。

●1964年(昭39)留守家庭子ども会の発足
竹屋、草津、吉島に、保護者の組織が作られ、広島市への陳情、地域への署名運動、議会への取り組みを経て、竹屋、江波、千田で正式に留守家庭子ども会のスタートとなりました。

●1966年(昭41)文部省の留守家庭児童会補助事業が開始
文部省の補助事業が開始され、学童保育は民生局から教育委員会社会教育課に移管、施設が増えるとともに広島市の直営事業となりました

留守家庭子ども会、児童館への一本化

●1971年(昭46)文部省は留守家庭児童会補助事業を廃止
広島市では名称を「留守家庭子ども会」としますが、文部省の補助事業が廃止され、国の補助がなくなったので、留守家庭子ども会は広島市の単独事業となりました。 
そんな中、広島市学童保育連絡協議会、指導員労働組合が組織され、着実に学童保育づくりが行われました。

●1977年(昭52)「児童館事業への一本化」へ
広島市は、「留守家庭児童だけを特別扱いせず、一般児童と一緒に児童館で遊ばせるのが教育的」との理由で、 “おやつ” “生活ノート”の廃止という発言の中で、学童保育の「児童館事業への一本化」を提案し始めましたが、これには、福祉・教育の切り捨ての姿勢が見えました。

●1980年(昭55)学童保育存続運動
広島市は、行政効率化で「留守家庭子ども会」を廃止、民間委託するという計画を示し、市議会において教育長から出されました。
この計画に対して反対運動が広がり、800名の大集会、市長室前での陳情の座り込み等、すさまじい運動により、広島市の提案ははねのけられました。
この運動を通して、父母と指導員の間に「一緒に学童保育づくりを発展させていく」という、強い信頼と連帯感が生まれ、この絆は「親子のつどい」「広島学童保育研究集会」につながっていくこととなりました。

●1983年(昭58)広島市当局は、「留守家庭子ども会実施要領」を作成
広島市は財政上の必要を理由に有料化、児童館移管を提案。父母と指導員は一丸となり、1300名による座り込み、9000枚の抗議ハガキによる要請行動等を行い、有料化は見送りになりましたが、指導員は児童館職員、留守家庭子ども会担当となりました。
広島市当局は、親の声を無視することが出来ず「留守家庭子ども会実施要領」を作成。
これにより、公立公営で無料、しかも4つの条件をひとつも欠くことなく、留守家庭子ども会(学童保育)事業が継続できることになりました
(下線については留守家庭子ども会概要をご参照ください)

「一本化」以降の留守家庭子ども会

●学校との関係
留守家庭子ども会は学校との関係なしには考えられませんので、小学校長を顧問とし、子供の入退会に関する手続き、指導日誌、児童出席簿の押印、必要に応じ助言がなされることになっています。

●留守家庭子ども会は、児童館事業の一環として位置づけされる
「一本化」後の「留守家庭子ども会」は、児童館事業の一環としての位置づけがなされ、児童館の第五番目の機能とされました。

●1985年(昭60)指導員の減員措置
「一本化」により、それまで児童館に配置されていた体育指導員が削減。非常勤嘱託の体育指導員が配置されました。

「一本化」による混乱

●児童館職員体制
常勤体育指導員がなくなり、児童館職員として、児童館担当(一般の来館児童担当)2名、留守家庭子ども会担当2名の4名体制が強調され始め、異なる指導員間の人事異動や担当替えが行われ、両担当の協調について具体的な指導がおこなわれました。
その内容は…
(1)始業、終業時にミーティングを実施する。
(2)日常事業の中で一緒にできる事業を協議し共同で企画立案する。
(3)年間行事・月間行事計画を共同で企画立案する。
(4)区役所等への提出書類のとりまとめと一括提出。
となり、留守家庭子ども会の入退会、4月1日の入会説明と手続きが館長の職務に加えられました。

●留守家庭子ども会担当指導員の職務の混乱
留守家庭子ども会担当の指導員の職務は、「留守家庭子ども会実施要領」で専任の指導員としての仕事が期待される中、他方では児童館事業についての理解のないまま、児童館児童員としての仕事が加えられ、当時の現場は混乱しました。

●児童館事業と留守家庭子ども会事業の曖昧さの混乱
広島市の留守家庭子ども会事業に対する姿勢の曖昧さが、現場の指導員の間に認識の大きなずれを生じさせ、「留守家庭子ども会事業の中身をそのまま維持していこう」とする考え方と、
「児童館の中で一般の来館児とあまり区別しないで遊ばせておけば良い」という考え方があり、
結局それぞれがそれぞれの思いで対応することとなりました。
この時「一本化」による指導員の協調ばかりが問題にされ、子供たちにとってこの「一本化」がどういう意味を持つのかはあまり論議されず、現在に至るまで様々な問題を引き起こしていると言えます。

広島市の留守家庭子ども会の現状

●全国にも誇れる素晴らしい学童保育
全国でも有数の学童保育設置率を誇っている広島市の「留守家庭子ども会」は、
自分の住む地域で自分の通う小学校の仲間と一緒に、公設公営の学童保育に通うことがごく当たり前のこととして、市民の間に浸透していることは全国にも誇れる素晴らしいことです。
●みんなで作り上げてきた留守家庭子ども会
これを可能にしているのは、国の施策の幾多の変化にもかかわらず、その都度、学童保育の重要性を唱え、守り育てた保護者、指導員、その他多くの支援者のおかげと、広島市当局が「留守家庭子ども会事業」を行政課題に位置づけてきたことによるといえます。